放浪日記 中米

1994年3月

1994年3月に春休みを利用して中米に行ってきました。グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルの3国です。グアテマラのアンティグアを起点にまわっています。目的はティカル遺跡などのマヤの遺跡を見に行くことですが、せっかくのカリブ海なので、カリブ海のリゾート気分も味わおうとして行ってきました。

グアテマラシティ→アンティグア

アメリカ経由でグアテマラーの首都グアテマラシティにつきます。はじめてのスペイン語圏です。まったく英語が通じません(たいした語学力でもないですか)。これはまずいと思い、スペイン統治時代にグアテマラ総督府のあったアンティグアに行き、スペイン語学校の門をたたきました。
アンティグアにはたくさんのスペイン語学校があり、中南米を旅行する人がスペイン語を勉強するために集まっています。午前3時間と午後2時間の1日5時間マンツーマン授業で、5日間で50ドルでした。中米まで来て朝早く起きて学校に行ってホテルに戻って復習予習の何のためにここまで来たかわからない毎日が続きます。
けれども学校やホテルでいろいろ友達もでき、夜はビールなど飲み明かす楽しい毎日でした。スペイン語は日本人にはとても発音しやすく、とりあえず現在形だけ教えてもらって、やっとこさ旅に出発です。

アンティグア→チキムラ→コパン

まずはカリブ海のリゾートに行こうと思いガイドブックを見てみたところ、ベリーズかロアタン島のどちらかに行こうと考えました。ベリースは中米で唯一の英語圏なので、せっかくスペイン語を勉強したからホンジュラスのロアタン島に行くこととしました。途中の道に遺跡はないかと探したら、ホンジュラスに入ったすぐのところにコパンという遺跡があったので、まずはそこを目指すこととしました。
アンティグアからグアテマラシティ経由で国境の町チキムラまでバスで移動し、国境をわたるバスに乗り換えます。バスは地元の人がいっぱいで、小さな女の子がこちらをじっと見ていたのが印象的でした。

国境を越えてホンジュラスに入り、コパン遺跡に行きました。遺跡内は思った以上にきれいに整備されていていました。けど、整備されている遺跡はちょっと趣が失われるような気が。一部の遺跡は発掘中でシートがかかっていました。

コパン→サンペドロスーラ→ラ・セイバ→ロアタン島

コパンからサンペドロスーラを通ってカリブ海側の町のラ・セイバまでバスで行きました。そこから目的のロアタン島まで飛行機に乗っていきます。カリブ海の青い海が広がり、とてもきれいな島です。一人なのでドミトリーに泊まって友達を作らねばと思い探すも、どこもいっぱいといわれます。リゾート島なのでみんな長期に泊まるので、安宿はうまっているようです。とりあえず仕方ないのでシングルの部屋に泊まることにしました。飲み屋に行けば知り合いができるかなと思いバーに行ってみるもカップルばっかりです。こんなところまで来たのに、仕方ないので宿に戻ってさっさと寝ることとしました。

せっかくカリブ海に来たのでダイビングをしようと、ダイビングショップを訪ねました。ダイビングのツアーを申し込み参加したところ、参加者は私とカップルの3人だけでした。海はきれいでダイビングはよかったですが、カップルは当然カップル同士でいるのでその中に入っていけるわけもなく友達は増えず。一緒に飲みに行く友達もいないのでナイトダイブツアーに申し込み、夜もダイビングに出かけましたが、目が悪いものでガイドがいろいろ教えてくれるもはっきり見えず、印象としては真っ暗な中を潜っただけのようになりました。
このあたりでこリゾート地に一人で来る愚を理解し、ここはさっさと離れて旅に戻ろうと思い、結局、2日間でさびしくロアタン島を後にするのでした。

ロアタン島→ラ・セイバーラ→テクシガルバ→サンサルバドル→アンティグア

ロアタン島からまた飛行機に乗ってラ・セイバに戻り、ホンジュラス首都のテクシガルバまで行きました。テクシガルバは大きい町のわりに電気が少なくてなんか暗い感じがしました(私が行った時はですが)。

先を急ごうとホンジュラスから長距離バスに乗ってエルサルバドルの首都のサンサルバドルを目指します。国境も問題なく通過。バスの中では本を読んでたら、ホンジュラスとエルサルバドルは「サッカー戦争」などをしてたんですね。まあ、両国のサッカー国際試合が引き金となったようなのでそのような名前のようですが、背景には歴史的経緯があるようで、中米の歴史はなかなか複雑ですね。

グアテマラのアンティグアがとても居心地がよかったので、早くアンティグアまで戻ろうと、サンサルバドルで一泊だけしてそのままスルーし、バスでアンティグアを目指すのでした。

アンティグア→リビングストン→ティカル→アンティグア

アンティグアに戻ってちょっとまったりした後、今回の旅行の一番目的のティカルに向かうこととしました。アンティグアからグアテマラシティを経由して、快適な高速バスでカリブ海側のプエルトバリオスまで行き、リビングストンまでボートで移動しました。リビングストンは他のグアテマラの町と違い、黒人の町です。全然別の国に来たような違和感でしたが、人はとても親切で居心地よかったです。

リビングストンからティカルに行くには幹線道路に戻らないといけません。リビングストンからのデュルセ川クルージングに参加しました。ジャングルの中の川を上っていくと、アグアカリエンテという川の中で温泉が湧いているところがあり、クルーズ参加者はみんなで入ってましたが、温泉と言うよりは川の一部がぬるくなっているような感じ。サンフェリペ城砦でクルーズは終了です。

サンフェリペ城砦は海賊に対して作られた砦とのこと。中には放題や拷問部屋が残ってます。サンフェリペ城砦から幹線道路沿いのリオデュルセまで行って、そこからティカルに行くための起点となる町フローレスまでバスで向かいます。このバスが雨が降った後ということもあり、かなりの悪路を行きます。もうガタガタの道でした。フローレスにつくと夕方だったので一泊し、翌日にティカルに行くこととしました。

ティカルはマヤ最大の神殿都市遺跡です。一番高い4号神殿の上からは密林の中にティカル遺跡群が点在しているのが見えます。スターウォーズエピソードⅣでも使われた景色です。

1号神殿と2号神殿は向き合ってあります。2号神殿の上から1号神殿を見るとこんな感じ。ティカル遺跡は整備されてはいるものの整備されすぎてはおらず、私が行った遺跡の中でもベスト3に入るお勧めのところでした。

アンティグア→パナハッチェル→チチカステナンゴ

ティカルから7時間かけてバスでアンティグアまで戻ってきました。旅の日程も少なくなってきたので、あとはアンティグアからの近場に行こうと、パナハッチェルとチチカステナンゴに行くこととしました。パナハッチェルはアティトラン湖沿いにある町でちっちゃい町です。アティトラン湖沿いの○○で有名な他の町までボートで行けます。

パナハッチェルからバスでチチカステナンゴまで移動です。チチカステナンゴはマヤの文化が色濃く残っていて、毎週木曜と日曜日に有名な市が開かれます。民族衣装を着た人も多いですが、観光化しすぎて、市も外国人向けな感じでした。

チチカステナンゴ→アンティグア

中米での滞在ももうわずかです。帰国までのんびりしようとまたまたアンティグアに戻ってきました。アンティグアにはスペイン語を学びに日本人も何人か来ていました。ほんと、ここにいると昼はのんびりとして、夜は飲みにと飽きません。これほど居心地のいい町も珍しいです。

ちょうどアンティグア滞在中にセマナサンタ(キリストの復活祭)を見ることができました。実はセマナサンタがあることも全く知らずに偶然出くわし、何じゃこれはとそれから調べた次第です。このアンティグアのセマナサンタはとても有名のようで、おみこしのようなものをかついで練り歩いていました。

アンティグア→グアテマラシティ→帰国

結局、最後までアンティグアでブラブラして帰国です。ホテルにいても続々と新しい旅行者がスペイン語を習いにやってきます。中米の旅行の起点はアンティグアに決定ですね。